だいたいわかる 自動運転の歴史「自動運転のコンセプト登場編」(1939年)

1939年、ヨーロッパでは世界恐慌の影響を受け、ファシズムが勢力を拡大。
9月1日にはナチス・ドイツがポーランドへの侵攻を開始し、後に第二次世界大戦と呼ばれる戦いの火蓋が切られました。

そんな重苦しい世界情勢の中、アメリカは…めっちゃ浮かれていました。

その理由は、戦争が始まる半年前に開催された「ニューヨーク万国博覧会」にありました。

ニューヨーク万国博覧会では、「明日の世界の建設と平和」をテーマに、世界62か国、35のアメリカ州および準州、1,400の団体や企業が出展し、展示・公演・映画・芸術・食文化など、最先端の技術や文化が集まり、訪れた人々に「未来」を体験させる場となりました。

テレビ、コンピューターゲーム、合成音声、ロボットなど、数多くの画期的な展示が並ぶ中、最も注目を集めたパビリオンがありました。

それが、ゼネラルモーターズ(GM)の「ハイウェイアンドホライズン館」で公開された「フューチュラマ」です。

流線型デザイン(ストリームライン・モダン)の第一人者である工業デザイナー、ノーマン・ベル・ゲデスが設計したこの展示は、巨大なジオラマとライド型アトラクションを組み合わせた体験型パビリオンでした。

フューチュラマでは、超高層ビルが立ち並ぶ都心と、大規模な郊外住宅地が「自動化された高速道路」で結ばれる未来都市が描かれていました。

観客は、「ムーヴィング・チェア」という動く座席に乗りながら、未来都市を上空から眺めるように観覧できる仕組みになっていました。

フューチュラマで描かれた未来の交通システムは、

  • 電波でガイドされた自動車が高速で走行
  • 前後の車と自動で車間距離を調整
  • 電波の指示に従い、ハンドルを握ることなく目的地へ向かう

と、まさに現代の自動運転の原点ともいえるものでした。

渋滞や事故の心配がない、まるで魔法のような交通システムが想定されていたのです。

まさに、80年以上前に、現代の自動運転技術のコンセプトが示されていたことになります。

フューチャラマの大盛況っぷりは延べ2,500万人が訪れ、平日でも1時間以上待つ行列ができるほどでした。

そんな素晴らしい展示をしたGMでしたが、すぐには自動運転の研究が開始することはありませんでした。

万博から2年後の1941年12月7日。

日本軍の真珠湾攻撃によって、アメリカは第二次世界大戦に参戦。

戦争に突入したアメリカは、国全体の生産能力を軍需優先にシフト。
大衆消費財を作っていた工場の多くが、軍需品の生産に転換されました。

「明日の世界の建設と平和」という万博のテーマとは正反対の明日が来てしまいましたので、GMも軍事車両や戦闘機や銃などの生産に力を入れることになって、自動運転の開発どころではなくなってしまいました。

[補足]

ウィキペディアのフューチュラマのページに、

「フューチュラマ」で使用された仕掛け、『ライド型アトラクション』は、のちにディズニーランドに応用されている。

フューチュラマ

と書かれていたのですが、英語版の方にはそのような記述はなく、調べてみても見つからなかったんですよね…

多分なのですが、1964年の方のニューヨーク万国博覧会に出た”イッツ・ア・スモールワールド“のことじゃないかなぁって思います。

<参考文献・リンク>

【書籍】

  • 保坂明夫,青木啓二,津川定之:自動運転(第2版)―システム構成と要素技術―,森北出版,(2019)
  • 古川 修:自動運転の技術開発 その歴史と実用化への方向性,グランプリ出版,(2019)
  • Geddes, Norman Bel.:Magic motorways,Random House,(1940)

【ウェブサイト】

【Wikipedia】

【YOUTUBE】

スポンサーリンク
未分類
シェアする
ソラ@自動運転をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました