だいたいわかる 自動運転の歴史「路車協調方式の研究編」(1950~60年代)

自動運転の研究は1950年代から始まりました。

当時の自動運転は、車両が自律的に走行するのではなく、外部からの指示を受けて走る方式でした。

具体的には、路面に埋め込まれた電磁誘導ケーブルを車両のセンサーが読み取り、それに応じてステアリングを自動制御する仕組みです。

自動運転の研究が始まったのは、1950年代のアメリカ、始まったきっかけは、吹雪で発生した重大な交通事故が起きたからだそうです。

この事故を、ウラジミール・ ツヴォルキンという方が知り、安全のために自動運転の開発しようと進めていった事から自動車の自動運転の研究が始まったみたいです。

ツヴォルキン氏はテレビに関する発明で有名な方で、当時はRCA(Radio Corporation of America)という大手エレクトロニクス企業の副社長をしていました。

そして、ニューヨーク万博でも自動運転の展示をしていたGM(ゼネラルモーターズ)と一緒に、路車協調方式の自動走行システムの研究に乗り出しました。

1953年、RCA研究所は、実験室の床に配線したワイヤーからミニチュアの車両を自動誘導・制御するシステムの開発に成功。

1957年には電子制御道路構想のもとに、RCAとネブラスカ州政府の合同事業を開始。ネブラスカにある120mの道路を用いて、実際に実験が行われました。

1960年6月5日にはニュージャージー州プリンストンのRCA研究所本部で実演が行われ、記者たちが実際にこのシステムを”運転”する体験も許可されました。
当時は、1975年までには実用化が実現するだろうと予測されていたそうです。

ここまではRCAが出した自動運転でしたが、GMも自動運転を出していました。

1956年、GMは「モトラマ」という展示会でファイアーバードIIというコンセプトカーを披露しました。

このイベントは、GMの製品や未来のビジョンを一般に紹介するために開催されました。

ファイアーバードIIはチタン製のボディとガスタービンエンジンを搭載していて、まるで羽のないジェット機の様な見た目をしていました。

この車の自動運転の仕組みは、主要な高速道路沿いに設置された交通管理塔と通信し、道路上に設置された電磁誘導ケーブルを通じて、遠隔で自動車をコントロールするといった感じです。

本当に羽のないジェット機みたいですね。

ですが、ファイアーバードIIはあくまでガスタービンエンジンやチタンボディなどの先進技術をアピールするためのコンセプトカーだったみたいで、実際には自動運転システムを搭載してなかったみたいです。

1958年、GMは前部に「ピックアップコイル」を2つ取り付けた1958年製のシボレー・インパラを用いて自動運転のデモンストレーションを行いました。

運転手が必要ない事をアピールするために、ハンドルなしで製造された車もあったみたいです。

このデモンストレーションは技術的には成功したのですが、GMの幹部はもっと…”華やかな”ものにしたいと考えたみたいです。

1959年、ファイアバードIIIを制作。前モデルと同様にガスタービンエンジンを搭載していましたが、新たに「Unicontrol(ユニコントロール)」と呼ばれる電子制御システムも備えていました。

ハンドルやブレーキ、アクセルペダルを1つのジョイスティックに統合したものですね。

あと同じ年に、GM傘下のキャデラックからサイクロンというコンセプトカーが登場しました。

こちらは電磁誘導ケーブルを使った自動運転システムを搭載していませんが、レーダーによる衝突回避システムが搭載されていました。

そんな感じで1950年から10年間…大手の自動車メーカーとエレクトロニクス企業、そして行政とも協力して自動運転の研究開発を進め、一般の人にも大々的にアピールまでしてきました。

この調子でいけば20年後には自動運転が実用化しててもおかしくない…

そんな感じに思えますが、残念ながらプロジェクトとしてはここから進むことは無く、凍結となってしまいました。

凍結した理由の1つは、すごくお金がかかるからです。

このシステムを実現する場合、まずアメリカのハイウェイすべての道路にケーブルを埋め込む必要があります。

そして、埋め込んだ後はちゃんと電流が流れるように運用して、故障したらメンテナンスをする必要があります。

参考までに、国土交通省から出している「自動運転サービスの採算性の検討事例」という資料によると、往復6km、合計12kmの電磁誘導ケーブルは4,800万円かかるみたいです。

という事は1kmあたり400万円かかることになります。

Wikipediaによると、アメリカの”州間高速道路”は1991年時点で総距離6万8500kmになります。これを無理やり当てはめると、2740億円くらいかかることになっちゃいます…

さらに、その全線が片側2車線以上あります。全線を自動運転できるようにするという事は、すべての車線にケーブルを埋めなければいけません。

仮に全線片側2車線だとしても、単純に4倍の1兆960億円かかります。

これはアメリカのハイウェイの建設費用の1割近くに相当します。
(アメリカのハイウェイの建設には12兆5千億円(≒1140億ドル)掛かっています。)

ここから、さらにケーブルを埋め込む工事費とか、電気代、運用、管理、補修にかかるお金とかもかかってきます。

なので、いくら安全のためとはいえ、手間とコストがかかりすぎるから現実的ではないと判断されてしまいました。

あと、当時の電子部品の信頼性が低かったのもあるでしょうね。

なにせ、核地雷の制御部品を保温するために生きた鶏を入れようとしたくらいですし…

そして、排ガス規制や燃費規制が強化されたことも理由の1つです。
また、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、アメリカでは一連の自動車安全基準や排ガス・燃費規制が強化されました。

自動車メーカーは、これらの規制に対応するためにリソースを集中せざるを得ず、自動運転開発への投資は後回しになってしまったのです。

また、GMとRCA以外にも、1960年代から70年代にかけて同様の方式が研究をしていた団体がいました。

アメリカのオハイオ州立大学、イギリスの道路交通研究所、ドイツのシーメンス、そして日本の通産省が研究してました。

そしてこれらのプロジェクトも、似たような理由で一般の公道向けに動いていたプロジェクトは凍結となりました。

【補足】

津川定之氏の論文や本にはドイツのジーメンスもやってたとありますが、これだけ具体的に何をしていたのかが良く分からなかったのですよね…

引用先のタイトルを見てみると1969年にシーメンスが出した「ヨーロッパ初の自動運転車」って資料に書いてるみたいです。

P. Drebinger, et al.: Europas Erster Fahrerloser Pkw, Siemens-Zeitschrift, 43-3, 194/198 (1969)

残念ながらこの資料を見つけられなかったのですが、代わりにコンチネンタルが1968年に自動運転を開発していたってありました。

これはタイヤのテストを行う為に開発したもので、シーメンス、ウェスティングハウス、ミュンヘン工科大学、ダルムシュタット工科大学が関わっています。

なので、多分これの事じゃないかなぁ…って思います。

<参考文献・リンク>

【書籍】

  • 保坂明夫,青木啓二,津川定之:自動運転(第2版)―システム構成と要素技術―,森北出版,(2019)
  • 古川 修:自動運転の技術開発 その歴史と実用化への方向性,グランプリ出版,(2019)

【ウェブサイト】

【Wikipedia】

【YOUTUBE】

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